第8回セミナー要録


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第8回セミナー(公開):シリーズ講演 「今まで語られてこなかった水俣病研究史 ②」

  第2回 熊大医学部水俣病研究班の活動とその限界

【講師】 富樫貞夫 【日時】 平成27年12月18日(金)
 水俣病第一次訴訟を理論面で支援した「水俣病研究会」代表の富樫貞夫・熊本大名誉教授が、水俣病の原因究明を担った当時の熊本大学医学部水俣病研究班の問題点を指摘した。
 連続セミナー「今まで語られてこなかった水俣病研究史」全4回シリーズの第2回。熊本大学水俣病学術資料調査研究推進室の企画で、約30名が参加した。
 研究班は、水俣病が公式確認された1956年、県の委託を受けて原因究明を開始。1959年に「ある種の有機水銀が原因」と発表した。その「有機水銀説」について富樫名誉教授は「きちんとした証明ができていない相当に危ない内容だった」と指摘した。
 富樫名誉教授は研究班について、まず「水俣病の原因物質を特定するための動物実験ばかりで、現地で患者を診たとはいえない。非常に視野が限られていた」と指摘。また、「内科や神経精神科など教室ごとにバラバラに研究を行い、それぞれが原因物質解明の一番乗りを競っていた」と指摘。さらに、「研究班は学用患者30数例しか診ておらず、フィールドワークをしていないから、実証性に欠ける研究だった」と指摘した。
 その上で、「現在重視される感覚障害は、当時の病像論では主症状に入っていない。海外で起きた水銀中毒症の事例を基に、実態と異なる病像を水俣病に当てはめた。それが今日まで認定基準にも反映された」と論じた。

[参照記事]
 西日本新聞  2015年12月20日 「現地で診ず実証性を欠く」 水俣病発生初期の熊大研究班 富樫名誉教授が指摘
 読売新聞   2015年12月20日 富樫名誉教授が水俣病セミナー、熊大研究班を批判