小論考 「中国



入口 紀男


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【1】 尖閣諸島は日中のいずれに帰属するか

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 中国の艦船が連日のように尖閣諸島の周辺に近づいています。日本国内では、多くのメディアがそのことを、危機感をもって茶の間に流しています。
 中国の艦船が尖閣諸島の周辺海域に近づくのは、中国が、尖閣諸島の主権の帰属は日中間で「棚上げ」にされていると認識しているからです。
 日本国内でも、高齢者の中には日中国交正常化交渉(1972年)のとき、尖閣諸島の主権の帰属は、もしかすると「棚上げ」にされたのではないか。そのようにうすうす感じている人びとも多いかもしれません。なぜなら、田中角栄と周恩来が「大局観」に立って進めて行く歴史の動きを、当時多くの日本人は畏(おそ)れをもって見守っていたからです。それは、現在の高齢者の人びとが中学・高校・大学生のころでした。

       尖閣諸島 (The Wall Street Journal)

 一方、日本の外務省は「棚上げの約束はなく、棚上げすべき問題がそもそも存在しない」と公表しています(公式ウェブページ)。それに対して、現在の日本人の平均的な理解は、「棚上げは日中間の密約としてはあったかもしれないが、そのようなことを公式に取り上げるべきではない。尖閣諸島は古来より日本固有の領土である。中国はその後、尖閣諸島の価値に気がついて所有権を主張し始めたのだ」といったところでしょう。では、事実はどうなのでしょうか。

 そもそも、尖閣諸島が日本に属するかどうかを決める権原(権限)は、本来日本にはなく「ポツダム宣言」までさかのぼって米・英・中が決めます。「日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」(ポツダム宣言第八條後段)日本はそのポツダム宣言を 1945年8月14日に受諾しており、日本が国際社会に復帰した「サンフランシスコ媾和條約」もこのポツダム宣言の受諾を前提としているからです。
 しかし、中国のほうは、周恩来と田中角栄との会談で、次の通り、尖閣諸島の主権は「棚上げ」にされたとして現在も認識しています(外務省が最近開示した記録)。
 すなわち、1972年9月27日に北京で日中国交正常化交渉が行われました。日本側は、田中角栄首相、大平正芳外務大臣、二階堂進官房長官、橋本外務省アジア局中国課長でした。中国側は、周恩来首相、姫鵬飛外交部長、廖承志外交部顧問、韓念龍外交部副部長でした。その経緯を、日本のほうは外務省アジア局中国課が次のように記録しました。

 田中角栄総理「尖閣諸島についてどう思うか? 私のところに、いろいろ言ってくる人がいる」
 周恩来総理「尖閣諸島問題については、今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった。石油が出なければ、台湾も米国も問題にしない」

 以上出典:「日中国交正常化交渉記録」( https://worldjpn.net

 そのように、「棚上げ」の約束は密約ではありません。それは、条約でこそなけれ、条約の前提となった約束として存在しています。尖閣諸島は、日本では、国内法によってそれ以前に個人が所有する不動産として法務局に登記されていました。しかし、日中国交正常化交渉の場では、そのような領土としての主権の帰属を改めて問うことになりました。それを最初に切り出したのは前記の通り、中国のほうではなく、日本のほうでした。その結果「棚上げ」となりました。
 以来、日本は一貫して「棚上げの約束はなく、棚上げすべき問題がそもそも存在しない」と主張して来ました。
 1992年にそれに対して中国は「中華人民共和国領海及毗連区法」第二条で尖閣諸島を自国の領土と明記しました。それは、尖閣諸島を明記しなければ自ら「放棄」したことになってしまうからです。

 日本は尖閣諸島を実効支配して「警察権」(海上保安庁)によって尖閣諸島を見回っています。そこに「軍事力」(自衛隊)を投入したり基地を造成したりすると、中国は国際社会に対して日本によって「侵略された(力によって現状を変更された)」と主張できるでしょう。中国は、理論武装として前記「棚上げ」の記録と「国連憲章」第五十三条(敵国条項)を持ち出し、日本に対して軍事的制裁を加えることができるでしょう。米国も手は出せません。「国連憲章」のほうが「日米安全保障条約」よりも上ですから。

 2010年9月7日に「中国漁船衝突事件」が起きました。
 日本は「停船命令」を出して船長を「逮捕・送検」しました。政府としては自国の領土として主権を粛々と行使したつもりでしょう。しかし、那覇地検では、次席検事が国際法に照らして、日本が行った「停船命令・逮捕・送検」の違法性に気がつき、最高検と協議して船長を釈放しました(船長は中国が差し向けたチャーター便で帰国しました)。
 那覇地検は「日中関係への配慮であった」と公表しましたが、検察庁に外交上の判断をする権限はありません。真実は日本が「棚上げ」をして「実効支配」をしている場合に日本が取るべき行為は「退去命令、あるいは、拿捕・強制送還」でした。「停船命令・逮捕・送検」をしてはなりませんでした。これが那覇地検が船長を釈放せざるを得なかった国際法上の理由です。

 2012年 石原慎太郎都知事が尖閣諸島を都有化しようとして募金活動を始めました。
 同年9月11日に民主党の野田佳彦政権は「もう国有化しないような空気ではない」というわけで国有化しました。したがって、日本が尖閣諸島を国有化したのは「中国との交渉の事実と結果」によってではなく「国内の空気」によってでした。

 2014年12月30日にロンドン発共同通信は、「英公文書」が公開されて 1982年9月に鈴木善幸首相が英 M.サッチャー首相に対して「棚上げ」の存在を述べていたことを報道しました。

 今後中国のほうは緊張に耐えながら「棚上げ」について幾世代も幾世紀も引き継いで行くでしょう。領有権を主張しながら、常に(日本のほうから見て)領海・領空を侵犯しておけばそれですむことですから。日本は生き急ぐ(中国の挑発に乗ってあるとき「何か」をやらかしかねない)民族であることを中国のほうはよく知っているでしょう。
 日本は、尖閣諸島の帰属についてそれを明確にするには信義誠実の原則に立ち返って改めて交渉をしたほうがよいでしょう。しかし、交渉は不利でしょう。先ず、交渉は「棚上げの約束はない」という主張が過っていたことを自ら認めることになりますから。また、日本は「国内法によって一方的に国有化」していますから。さらに、「停船命令・逮捕・送検」によって国際法に違反しましたから。
 尖閣諸島は、今後日本がさらに「何か」をやらかさない限り、田中角栄と周恩来が決めた通り、幾世代も幾世紀も「棚上げ」のままとしておくことならできそうです。


【2】 中国は本当に覇権国家か

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 現在、中国と国境を接している国は、北朝鮮、ロシア、モンゴル、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、アフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナムです。排他的経済水域が重なっている国は、日本、韓国、フィリピンで以上合計17カ国です。そのうち国境領海問題で対立しているのは、インド、ブータン、ベトナム、日本、フィリピンの5カ国です。その対立は、中国のほうから一方的にみると、「専守防衛」または「失地恢復」のいずれかです。
 中国は南シナ海も中国のものだと考えています。これについて、中国は国際司法裁判所でフィリピンに敗訴しています(2016年)。他国の領土を奪う行為は「覇者」としての行為ですから、儒教の民である中華の民がそれを容認することはありません。したがって、中国共産党としては「漢の時代から」という理屈が命綱(いのちづな)です。たとえ現代の国際社会で南シナ海が中国のものでなくてもそれは覇者(賊)によって奪われたまま現代に至ったのだというのが中国共産党の理屈ですから、中華の民はそれを容認します。それが中国です。
 中国のインド・ブータンとの紛争地域は、かつてチベット(吐蕃帝国)であったところです。北ベトナムはかつて確かに中国の領地(越南地方)でした。唐の阿倍仲麻呂はそこを統治する長官としてハノイに赴任していました。中東・アフリカとの交易も、中国は、明の時代にイスラム教徒の宦官(元の時代の色目人)・鄭和(ていわ)が航海して以来中国の利権だと考えています。

【3】 中国は本当に民主化されないか

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 孫文(1866-1925)は辛亥(しんがい)革命(1911年)によって清朝を倒しましたが、農民のための土地改革まではしてくれませんでした。儒教の民にとって、毛沢東(1893-1976)のマルクス主義革命は土地改革まで行い、伝統的かつ徹底的な「道徳行為」(易姓革命 孟子)に見えたのではないかと思われます。

 中国には、全国のすべての地区、組織に網の目のようにはり巡らせた「工作単位」(共産党組織)の制度があります。また、「档案」(とうあん)といって、清朝の時代から異民族である全国民を監視する制度として引き継がれた制度があります。「档案」は全ての個人の経歴、思想等を調査した機密の人事内申書の制度です。所属元の「工作単位」が転職を認めなければ「档案」も新しい勤務先の「工作単位」へ移動しません。一方、中国の指導部には明確な「序列」があります。この「序列」は伝統的な儒教の道徳観によって強固に支えられています。中国は、この「序列」と「単位」と「档案」によって堅牢な管理社会が構築されたことで、旧ソ連が崩壊したのとはわけが異なっていました。
しかし、1992年に社会主義計画経済であった中国は、鄧小平のひと言で一夜にして社会主義市場経済を国是とする国に変り、その後市場経済が発達しました。現在は、生活のために転職も自由に行われるようになっています。その結果「档案」も現在は有名無実化しているようです。すると、「序列」と「単位」と「档案」も「あれは何だ」と問われてもしかたがありません。
 中国の農村戸籍の人口は現在全体の半数近くまで減少しています。本来は土地に縛られていますが、生活のために都市に出稼ぎに出て、都市戸籍を取得する人が増えています。共産党指導部もそれを容認せざるを得なくなっています。都市戸籍と農村戸籍の区分けも「あれは何だ」と問われてもしかたがありません。
 そもそも、「中華人民共和国憲法第一条」に「中華人民共和国は、労働者階級の指導する労農同盟を基礎とした人民民主主義独裁の社会主義国家である」と定められています。中国共産党の党員数は現在約一億人です。そのうち労働者数と農牧漁民数は近年急速に減少していて、今ではもう全党員の約 35パーセントしかいません。ですから、この「第一条」も、もう「あれは何だ」と問われてもしかたがありません。
 世界の富裕層の上位 10パーセントは中国が約 1億人で、アメリカの約 9千万人を抜いて最多となっています(クレディ・スイス 2018年)。しかし、この上位 10パーセントは 2014年に中国の総資産の 63.9パーセントを占有するに至っています(日経 2014年)。共産主義とは「あれは何だ」と問われてもしかたがありません。また、中国では最富裕層(上位 5パーセント)と最貧困層(下位 5パーセント)の世帯年収には 240倍を超える格差が生じているようです。毛沢東の『新民主主義論』(1940年)に始まった労働者階級(プロレタリアート)のための革命も、「あれは何だ」と問われてもしかたがありません。

 では、中国は、西側諸国のように民主化されないのでしょうか? 答えは「今は民主化されない」です。理由は二つあって「1.普通選挙が行われていないこと」と「2.情報がコントロールされていること」です。さらにその二つの根源的な理由は、中華の民が「たとえ共産党を戴いてでも、ひたすら安定を求めるから」です。では、将来本当に民主化されないのでしょうか。
1.普通選挙について
「中華人民共和国憲法第三条」には「全国人民代表大会及び地方各級人民代表大会は、すべて民主的選挙によって選出される」と定められています。この全国人民代表大会が国権の最高機関です。しかし、実際の選挙の過程では、候補者選定をはじめ選挙の各段階で共産党が強力に介入を行い、投票日の前には事実上当選者が決定しているようです(唐亮『変貌する中国政治 - 漸進路線と民主化』東京大学出版会 2001年)。

 一方で、社会主義市場経済の成功によって中国には春秋の覇者のように多くの資本家が現れているわけですから、普通選挙が行われていないことも「あれは何だ」となって行く可能性があると私は感じます。
2. 情報のコントロールについて
 情報通信技術(ICT)の急速な発展によって 14億人に対する総ディジタル管理の強化が進んでいます。しかし、ICTは世界とつながっています。これも「あれは何だ」となって行く可能性があると私は感じます。

【4】 人民解放軍は軍事クーデターを起こし得るか

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 人民解放軍がいつか軍事クーデターを起こすのではないかという不安を抱くのは、日本人ならではの発想です。それは、日本では武士が食料も兵力も自分で調達するようになると、政権を奪取して武家政治を開く国であるからです。また、黒船がやって来て徳川幕府には江戸湾を守る海軍力もないことが露見すると、王政が復古する国であるからです。
 中国は唯物史観の国ではありません。中華の民の DNAに刻み込まれているのは「論語」「孟子」などの『経書』(朱子学の『四書五経』)でしょう。漢字を読めない農民も、目に見える「礼」を通してその内容をうかがい知っていましたから。革命は儒教の根本思想の一つ(孟子)です(貝塚茂樹)。中華の民がマルクス主義革命を受けいれたのも中国が儒教の国であるからでしょう。
すると、マルクス主義は中華の民にとって「徳」をもたらしてくれるかどうかでしかありません。「徳」を失うときが「天命」が尽きるときであることを最もよく理解し、かつ最も恐れているのは共産党の指導部でしょう。
 中国の歴史では例外なく、皇帝や宦官(かんがん)、官僚のほうが龍武大将軍(武官の最高位)よりも高い権威をもっています。これは、中国の伝統的な道徳観(儒教)です。中国では、いつの時代も軍は官僚から食料と武器を提供されました。すなわち、中国では、軍とは官僚に依存する存在です。それが正規軍でした。北狄(北の匈奴)が攻め込んで来たらどうなるか、農民もその結果起きる膨大な損失と悲惨な生活を身にしみて知っていました。農民はそのために、正規軍をもつ官僚に税を納めました。現在の人民解放軍も同じです。
 人民解放軍が軍事クーデターを起こすには、中華の人びとに刻み込まれた儒教の道徳観と、春秋戦国の乱世から現代に至るまでの中国の歴史をくつがえさなければなりません。仮にそれを成し得たとしても、それは、「天」すなわち中華の民の総意ではあり得ません。

【5】  中国は台湾と開戦し得るか

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 台湾の砂時計に、時間がなくなっています。
 一方、儒教の民(中華の民)に対して、マルクス主義革命を「道徳」(易姓革命・孟子)の一環として行って見せ、首都を「礼」の一環として北京に定めた中国共産党は、「覇者」としての姿を自国民に見せることはできません。いつ「天命」(中華の民の総意)が尽きないとも限らないからです。
 中国は台湾が独立しようとする場合にこれを攻撃すると明言しており、中国の国民も台湾の国民もそれを少なくとも「認識」はしています。
 一方、日本は台湾を主権国家として認めていません。日本は 1972年に中国と国交回復をしたとき、台北にあった日本大使館を撤収しました。台湾にとってベストな道は、現在の「事実上の独立」をできる限り維持して、砂時計の砂が少しでも落ちにくいようにすることでしょう。アメリカも台湾を主権国家として認めていません。したがって、アメリカが条約によって台湾を軍事的に守ることは不可能です。中国の台湾併合は「侵攻」ではありません。それはアメリカも認めています。したがって、日本にもアメリカにも、できることは本当は何もありません。
 アメリカが沖縄の「基地」を増強したり、大統領が台湾を守ると繰り返し発言したり、日本が「軍事力」を増強したりすると、それらの行動を中国は重視しますから、時計の砂は落ち方が少しはゆっくりとなるでしょうが、一方の中国は生き急ごうとは思っていません。アメリカには、いずれ中国が台湾を併合することを容認することが合理的であると判断するときが来るでしょう。将来起きることは単にそれだけでしょう。
 台湾は、中国に対して、もし「軍拡」をするのなら、それによって中国と競争をするのではなく、北京からできるだけ多くの「自治権」を獲得できるように努力する手立てとするほうがよいでしょう。



【6】 日中開戦はあり得るか

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 中国が「大日本帝国化」していると考えるのは、日本人ならではの発想です。2014年に国家基本問題研究所(櫻井よし子理事長)の石原慎太郎は「支那と戦争して勝つ」と発言しました(「週刊現代」2014年8月9日号)。
 日本には兵力さえ強ければ大陸に侵攻してよいという思想が古代からあります(白村江の戦・豐臣秀吉による戦国武将 21万人の派兵・吉田松陰(1830-1859)の侵略思想(幽囚録 1854年)など)。一方、中国の歴代皇帝で東夷(日本)に侵攻しようという発想をした皇帝は、モンゴルを除けば、少なくとも記録上はひとりもいません。
 日本は、防衛力を近代化する日ごろの努力は必要だと思われますが、中国を仮想敵国と見なして「敵基地攻撃能力」をもとうとすることは、たとえ「第九条」が禁じる「国際紛争を解決する手段」とならないようにそれを運用するにせよ、日本をここぞとばかりにウクライナに見立てようとする世論操作によるものです。中国が日本に侵攻する合理的な理由はありません。
 アメリカが日本のために核を使用することは現実としてはあり得ません。アメリカもそれほど愚かではありません。アメリカが中国と全面開戦することも現実としてはあり得ません。アメリカとしても第三次世界大戦をひき起したくないからです。現在、中国の年間軍事予算で日本の自衛隊を毎年「5回」買えます。仮に中国が対日開戦して、アメリカが可能な限り静観した場合には、次の日中の軍事力について比較する限り(経済力などのすべてのファクターを含む)では、戦争は数時間で決着する(日本の敗戦)だろうと私は考えております。
       日中の軍事力比較(グローバルファイアーパワー社)
 日本は挑発に乗ってあるとき「何か」をやらかしかねない民族であることを中国のほうはよく知っているでしょう。一方、中国は生き急ぐことはなく、幾世代もかけてどのような緊張にも耐えて行く国です。

【7】  中国は世界国家たり得るか

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 中国の社会と経済は大きく変化しました。今、中国とインドが経済大国としてアメリカを追い抜く過度期に差しかかっています。アメリカは台頭する中国に対して危機感とあせりをもっているでしょう。その中国も 2022年から人口が減り始めています。国内総生産(GDP)でもインドに追い上げられて行くことが分かっています。中国共産党もこの大きな流れの前には無力でしょう。アメリカと日本は経済力が凋落して行き、2040年ごろ、アメリカはインド、中国に次ぐ世界第三位の経済大国として軍事力だけが突出した国となっているでしょう。
 アメリカは旧ソ連に対して行ったように中国を日本を含む西側連合によって封鎖しようとするでしょう。西側連合にはキリスト教圏である西欧諸国、ウクライナ、プーチン後のロシア、場合によってはインド、アラブ、アフリカを含むかもしれません。中国は、インドに追い抜かれるまでの間に、このキリスト教文明圏に追いつき、これを追い抜くことはないでしょう。
 これからの過度期は、日本にとってある意味で自立するための機会かもしれません。
 中国は「情報コントロールの放棄」と「普通選挙の実施」の二つを容認しない限り、国際社会によって、かつてのスペインやオランダ、大英帝国、アメリカのように「世界国家」として受け容れられることは困難でしょう。中国は国内総生産(GDP)がたとえどんなに拡大しても、西欧諸国の「国家」の概念で中国を見る限り、「ベールの向こうの国」ですから。

【8】 日本は何をどうすべきか

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「国家」とは、近代ヨーロッパの概念です。西欧諸国は、そのものさしで現在の中国を「国家」と考えています。しかし、その「国家」もせいぜい四百年くらいの歴史しかありませんから、西欧諸国には中国のことがどうもよく分かりません。アメリカはもっと分からないでしょう。一方で、日本は古代からヨーロッパの「国家」という概念を使わないで中国をそれ自身として理解してきました。さらに、日本は、明治以降、中国のことがどうもよく分からない西欧に C.モンテスキュー(1689-1755)の「三権分立」など、近代国家のあり方を学びました。
 日本は、中国やアメリカを変えることはできませんが、中国が困っていることをよく分析して理解し、中国に代わって世界に向けて発信することならできそうです。それができる国は日本だけでしょう。すると、中国は、日本はアメリカ一辺倒とは違っていて、アメリカとの関係を重視しながら、一方で中国をアジアの中に位置づけて行こうとしていると感じるでしょう。

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参照文献

本文中で色分けした箇所はそれぞれ下記の文献を参照しました。

  1. 橋爪大三郎・大澤真幸・宮台真司『おどろきの中国』 (講談社現代新書 2013年)
  2. シカゴ大学教授 J. ミアシャイマー『台湾よ、さようなら』(2014年) https://nationalinterest.org/article/say-goodbye-taiwan-9931
  3. 中島岳志『大日本帝国化する中国』(月刊日本 2020年9月号)