有機水銀副生の発見ノートルダム大学 1921年)  





入口紀男

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はじめに


 硫酸は多くの金属を溶かす。水銀も溶けて透明な溶液となる。その溶液に、カーバイドに水を注いで発生したアセチレンガスを吹き込むと「アセトアルデヒド」ができる。アセトアルデヒドは重要な工業製品である。二十世紀になると、その溶液の中には有機水銀が副生していることが知られるようになった[1, 2]。この事実(有機水銀の副生)は、日本ではいつ周知となったのであろうか?  





目次

はじめに

  【】 アセトアルデヒドの製法はいつ発明されたか(露・サンクトペテルブルグ 1881年)
  【】 アセチレンの大量製法はいつ発明されたか(カナダ 1887年)
  【】 有機水銀副生の「可能性」はいつ示唆されたか(ミュンヘン 1905年 米・ノートルダム大学 1906年)
  【】 有機水銀副生の「可能性」はいつ日本に伝わったか(『東亰化學會誌』 1906年)
  【】 有機水銀副生の「事実」はいつ発見されたか(米・ノートルダム大学 1921年)
  【】 有機水銀副生の「事実」はいつ日本で周知となったか(『工業化學雜誌』 1922年)
  【】 メチル水銀はいつから水俣湾に流されたか(水俣 1932年)

引用文献








【1】 アセトアルデヒドの製法はいつ発明されたか(露・サンクト・ペテルブルグ 1881年)

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「アセトアルデヒド」(CH3CHO)は重要な工業製品である。約 20℃で沸騰する。引火性が非常に強い。空中で酸化するだけで酸素が一つ加わって酢酸(さくさん CH3COOH)となる。したがって、アセトアルデヒド工場では酢酸も同時に製造されることが多い。その工場は「アセトアルデヒド・酢酸工場」などと表記される。



02

 露・サンクトペテルブルク州立森林大学(Wikipedia)


  
 アセトアルデヒドは、アセトン、オクタノールなどの原料となる。アセトアルデヒドがなければ、ある時代の一国の産業は成り立たない。アセトアルデヒドはそれくらい重要な工業製品の一つである。そのために世界の各地でアセトアルデヒドが製造された。ヨーロッパ大陸でも、アメリカ大陸でも、そして、熊本縣の水俣町(当時)でも。
 現在アセトアルデヒドは石油化学によってエチレンを酸化させて製造される。触媒(しょくばい)として二酸化パラジウムと二酸化銅が用いられる。この「エチレン酸化法」は 1959年にドイツのワッカー・ケミー社が開発したものである(ワッカー法)。

 それ以前にアセトアルデヒドを製造する方法は、1881年にロシア帝國サンクト・ペテルブルグ(Saint Petersburg)の王立森林研究所(現在のサンクトペテルブルグ州立森林大学)でミカイル・クチェロフ(Mikhail G. Kutscheroff 1850-1911)によって発明された [3]。それは水銀を触媒として用いるものであったので「水銀触媒法」と呼ばれる。



02

       クチェロフ自画像
    Mikhail Kutcheroff 1850-1911


  
 一九世紀の後半に、ロシア帝国の化学者ミカイル・クチェロフ(Mikhail Kutcheroff)は、サンクト・ペテルスブルグの王立森林研究所でアセチレン(C2H2)の化学について研究していた。王立森林研究所は、1811年にアレクサンドル I 世が創立した研究所であった。ロシア革命よりも前である。クチェロフは当時の自由な空気の中で好きな研究をすることができた。「アセチレン」は、「アセチレンの樹」と言われるように、これから様ざまな化学物質を合成することが可能である。クチェロフは、そのアセチレンの化学に取り組んだ。
 硫酸は強い酸である。水銀は、鉄や銅など他の金属と同じように硫酸に溶けて透明な液体となる。クチェロフは、その水銀溶液にアセチレンガスを吹き込むだけでアセトアルデヒドができることを見出した。クチェロフの発見は、その後の世界の化学産業の発展を担う重要な業績であった。
 クチェロフの水銀触媒法は、その反応のメカニズムがサイエンスとして全く未解明であった。現在でも、本当のところは、最新の量子化学を動員しても、そのメカニズムが余すところなく解明されているわけではない。しかし、当時も今も、経験則としてはアセトアルデヒドが製造できるのである。
 クチェロフは、そのとき水銀溶液の中に有機水銀が副生することにまでは思い至らなかった。


【2】 アセチレンの大量製法はいつ発明されたか(カナダ 1887年)

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01

     トーマス・ウィルソン
  Thomas Willson 1860-1915
  カルシウム・カーバイド製法を発明


  
 アセチレンガスは 1835年にイギリスのエドモンド・デービー教授(Edmund Davy 1785-1857)によって発見された。それは「カリウム・カーバイド」(K2C2)に水をそそいで発生させるもので、高価であった。

 1892年にカナダのトーマス・ウィルソン(Thomas Willson)は「カルシウム・カーバイド」(Ca2C2)を製造する方法を見出した。それは自然界に大量にある石灰岩(CaCO3)と石炭(C)を混ぜて、電気炉の中で 2,000℃程度の高温で加熱するだけで大量に製造できるというものであった。
 ウィルソンのカルシウム・カーバイドも、水をそそぐとアセチレンガスが発生する。アセチレンガスは燃えて明るい光を出すので、ガス灯や夜店の照明、漁船の照明などに、確実に需要があった。



【3】 有機水銀副生の「可能性」はいつ示唆されたか(ミュンヘン 1905年 米・ノートルダム大学 1906年)

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 ドイツ・ミュンヘンのホフマン(K. A. Hofmann)とザンド(Julius Sand)は 1900年に『ドイツ化学会誌』に「水銀塩のオレフィンに対する反応について」と題して論文を掲載した [4]。「オレフィン」とは、エチレン C2H4、プロピレン C3H6 など、化学式 CnH2n (2≦n)で表される有機化合物のことである。その論文の中でホフマンとザンドは

H2C=CH2 + Hg(OCOCH3)2 + ROH → ROCH2CH2HgOCOCH3 + CH3COOH

という化学反応式を掲載した。
 アセチレン(C2H2)はオレフィンではないが、ホフマンとザンドの研究は、一般に炭素水素化合物が水銀化合物と反応して有機水銀を生成する可能性があることを示唆した。
 ホフマンは、また、1905年に『ドイツ化学会誌』に「爆発性をもつ水銀塩」と題して論文を掲載し、「水銀を溶かした酸性溶液にアセチレンガスを通すと爆発性をもつ有機水銀が生成することがある」と述べた [5]。

 米国ミシガン湖のすぐ南のインディアナ州にノートルダム大学がある。ノートルダム大学は、1842年にカトリック教会によって創設された私立の名門大学である。



02

    米・ノートルダム大学(1905年)(Wikipedia)


  



01

   

  ジュリアス・ニューランド神父
  Julius A. Nieuwland 1878-1976
   ノートルダム大学化学教授


  
 ジュリアス・ニューランド教授(Julius Nieuwland)は、カトリックの神父であった。ニューランド神父は、ノートルダム大学の植物学教室でアセチレンの化学について研究を続けた。ニューランドは『米国化学会誌』(1906年)に「アセチレンの酸性銀及び水銀溶液に対する作用」と題して論文を掲載した。
 ニューランドは、その論文の中で前記ホフマンの論文を紹介し、「水銀の酸性溶液にアセチレンガスを通すとアセトアルデヒドが生成する。そのとき水銀化合物が副生する。その水銀化合物は、酸の種類により爆発性を有しており、ある種の炭化物であろう」と述べた( The compound was explosive and hence was supposed to be a carbide.)[6]。一般に炭化物とは有機物のことにほかならない。

 水銀を硫酸に溶かしてアセチレンガスを吹き込むとアセトアルデヒドが生成する(クチェロフの水銀触媒法)。ホフマンとニューランドの論文によって、そのとき有機水銀が副生する可能性が知られるようになった。


【4】 有機水銀副生の「可能性」はいつ日本に伝わったか(『東亰化學會誌』 1906年)

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 J. ニューランドの『米国化学会誌』(1906年)[6] は、「アセチレンの酸性銀及び水銀溶液に對する作用」と題して同年(1906年)発行の『東亰化學會誌』(後の日本化学会誌)第27巻に「水銀化合物は其含む酸根の種類により爆發性あるを見たり。之等化合物の多くは其組成明かならざるも熱すれば概ねアルデヒドを發生す」として抄訳が掲載された [7]。

01

 「アセチレンの酸性銀及び水銀溶液に對する作用
『東亰化學會誌』 第27巻 第7号 第1232-1233頁(1906年)


 1906年(明治39年)は、伊藤博文が韓國統監府の初代統監に就任し、南滿洲鐵道株式會社が設立された年である。
 熊本縣葦北郡(あしきたぐん)水俣村(当時)において、日本窒素肥料株式會社が創業されるたは、それより二年後の明治四十一年(1908年)8月20日(木)である。



【5】 有機水銀副生の「事実」はいつ発見されたか(米・ノートルダム大学 1921年)

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 米国の前記ニューランド教授は、『米国化学会誌』(1921年)に「アセチレンよりアセトアルデヒドをつくる場合の水銀塩の作用ならびにパラアルデヒドの製造方法」と題して論文を発表した [8]。


22

     J. ニューランド米国化学会誌 第43巻 第7号 第2071頁 (部分)[15]


 ニューランド教授は、「そこで本研究では、種々の水銀塩を酸に溶かし、それぞれ異なった温度と濃度で用いてみた。その場合に、アセチレンがどのように反応するか、その反応の程度と持続時間について検討した。この目的のためには、硫酸水銀を希硫酸に溶かしたものが触媒としての経済性と触媒としての性能、反応の持続性の面からみて最適であることが見出された」と述べた。
 また、「しかしながら、これらの溶液の中で、水銀が硫化物の形で長く存在することはなく、ある有機水銀に変性され、その有機水銀が触媒として作用するということを見出したものである」(It was found, however, that in these solutions, the mercury did not longer remain in the form of the sulfate but was converted to an organic compound, and this compound acted as the catalyst.)と述べた。


【6】 有機水銀副生の「事実」はいつ日本で周知となったか(『工業化學雜誌』 1922年)

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 ニューランド教授の『米国化学会誌』(1921年)の内容は、国内で 1922年に『工業化學雜誌』に抄訳が掲載された [9]。その中で「水銀鹽は直ちに還元せられ有機化合物となり、此(こ)の者の接觸作用により反應は進行する」と報じられた。



06

    『工業化學雜誌 第25巻 第980頁 (部分)(1922年)


   
  
   これによって、アセトアルデヒドを製造するとき有機水銀が副生する事実は国内で周知となった。


【7】 メチル水銀はいつから水俣湾に流されたか(水俣 1932年)

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44

      水俣湾 遠方に見えるのは天草諸島(2006年)

  
   
 熊本縣葦北(あしきた)郡水俣町(当時)において、日本窒素肥料株式會社水俣工場がアセトアルデヒドの製造廃液を水俣灣に流し始めたのは、 1932年(昭和七年)5月7日(土)であった。

 日本窒素はアジアで最初にアセトアルデヒドを製造するあたって、あらゆる情報・文献をいち早く入手していたと考えられる。しかし、製品とは直接関係のない廃液のことは眼中になかったのではないかと想像される。




引用文献

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  1. 入口紀男 『メチル水銀を水俣湾に流す』 (日本評論社 2008年)
  2. 入口紀男『聖バーソロミュー病院 1865年の症候群』(自由塾 2016年)
  3. M. Kutscheroff, "Ueber eine neue Methode direkter Addition von Wasser (Hidratation) an die Kohlenwasserstoffe der Acetylenereihe." Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft, 14: 1540-1542(1881)
  4. K. A. Hofmann & J. Sand, "Über das Verhalten von Mercurisalzen gegen Olefine." Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft 33: 1340-1353(1900)
  5. K. A. Hofmann, "Explosive Quecksilbersalze." Berichte der deutschen chemischen Gesellschaft 38: 1999-2005(1905)
  6. J. A. Nieuwland & J. A. Magnire, "Reactions of Acetylene with Acidified Solutions of Mercury and Silver Salts." Journal of American Chemical Society 28 : 1025-1031(1906)
  7. 「アセチレンの酸性銀及び水銀溶液に對する作用」『東亰化學會誌』27(7): 1232-1233(1906)
  8. Richard R. Vogt & Julius A. Nieuwland, "The Role of Mercury Salts in the Catalytic Transformation of Acetylene into Acetalydehyde and a New Commercial Process for the Manufacture of Paraldehyde." Journal of American Chemical Society 43: 2071-2081(1921)
  9. 「アセチレンよりアセトアルデハイドを作る場合の水銀鹽の作用並にパラアルデハイドの製造方法」『工業化學雜誌』25: 980-981(1922)